Phobia3がネタに食いついたー。
どうなんでしょ。
絶対神は過酷な状況下で生まれるってのはよくいわれていますね。
神を人間が作り出すプロセスはよく分からんのですが、
戒律の厳しさはどちらかというと、人的な外因が強い気もしないでもないです。

キリスト教もイスラム教もユダヤ教も、一神教ですね。
世界的にはどちらが多いのでしょうか。
よくわかりません。

多神教で身近なのはやはり日本。
八百万の神ですね。
なんか、これは精霊崇拝的な流れなのかな?
これと似たのが古代ローマの宗教とどこかで聞きかじったことがあります。

多神教の方が優れているとかなんとかいう人もいますが、一番いいのは、神を信じていないことかなぁとか。乱暴な言い分。
未知のものに神という名を与え、そして安堵するってのが心に神を持つ人だと思いますね。
神という言葉を借りてしまうと宗教につながってしまうかもしれないけど、
ある意味科学も宗教の一部であるとは思う。
すべてのものはいつの日か解明される。何か、複雑な理解しがたい法則の上に物事は成り立っているに違いないという前提の元、神は存在しない・もしくは神というものすら科学で証明することができる日がいつかくるっていう前提があって初めて、未知に対しての安堵があるんじゃないのかなぁ。

だから、幽霊とかはもろの否定しちゃう人です。
脳みそも結局、生体コンピューターな訳だから、そこにあるパソコンと同じでぽちっと血液の流れを止めてしまえば、CPUに電気が通らないようにそこには存在しないと思う訳で。
さらに言えば、コンピューター自体存在しない場所にその演算結果は出ないように幽霊とかも証明できないよーて。
ただ、ヒエロニムスマシーンみたいなコンピューター無しでいろいろ出来るとか、意味の分からないものだけど、意外と実績があったりするものとかもある訳でなんだかなぁって。
何か見えない法則があるんじゃないかと。
ほらさ、クォークですよ。死んだ人間の残像が、質量を持たない液晶の焼きつきのように現世に現れることが幽霊ですよとか言うと、あぁ。なるほどね。
そういう解釈なら幽霊の存在を信じていいかなって思います。

こんな風に言っていますが、他人にこういう解釈を要求するようなら、それは立派な新興宗教であって。
ようするに、信教とか信条なんて他人に押し付けるもんじゃあないんだと思うんですよ。
どんなに貧しくても、キリストとアッラーは喧嘩をするのをやめない。
次いでに言ってしまえば、紙幣っていう神を崇めている資本主義と社会構造全体が神のような社会主義なんかも喧嘩をやめない。
もうちょい寛大になればいいのにーって思うこと自体が多神教崇拝っていう神なのか。

つまり、神=信条って言葉が正しいと思う。
未知に名前を付けたくなるのが人間の性ってやつですかね。
ほら、道にも番号で名前を付けたがるじゃん。246とか129とか。そして、さらに慣用名見たいな厚木街道とかつけてくれるもんだから覚える方もたまったもんじゃあない。

あ、ちなみにきまぐれの好きな曲で
19のテーマソングっていうのがあるんです。

白と黒の決められた横断歩道(アンゼンなミチ)を歩くより
僕は自分で探すと思う
楽じゃないけど楽しい道を

これは歌詞が作りこまれていて好きです。
横断歩道にアンゼンなミチって読みを当てたり、クリカエシとかいいんですよね。
どっかに歌詞が出てくるので検索してください。
読んで、もう一度読んでー
あぁ、これ、イイワ。ってなります。




って話が脱線しました。
そもそも、こんな話になったのは、あれです。
講師をしているといろいろな生徒を見るもので、生徒の中で明らかにおいおいっていう理系の知識が全く入らない人間がいるんですよね。
なんて言うか、今の発表聞いてもそれを理解するまでのハードル高すぎですよ。
高校生くらいの子に物理学賞の話振られて一通り新聞とかで聞きかじった知識を噛み砕いて説明したのにはてなマークがばっちり出てた。
前提として学ぶべきことが多すぎなんですよね。今の先端科学は。
光って波なんだよーで、半分が脱落して。
光って質量をもっているんだよーで、さらに半分が脱落して。
原子ってー以下略
高校物理からだともう無理な世界に近づいているんじゃないですかね。
だって、聞いても分からんかったら、興味わかないもんね。

昔みたいな生活に密着した大発明とかは、おぉおう。ってなる。
ほら、電球とか。あれを見た人はやべぇwこれ!w
とかなった訳で。

今。このキャパシタは以前のサイズの半分以下でー云々
言っても、反応は「ふーん」ですから。

ノーベル賞を受賞する人がどんどん高齢化の一途をたどっていますね。
これも、
①受賞待ち
②画期的な論文発表の高齢化
の両方の影響なんですかねぇ?
どっかで、読んだけど、「人間の知識の及ぶ範囲には限界がある」
乱暴に噛み砕くと、論旨はこう。
人間という生き物には寿命があるわけだから、何かを学び「そこ」からさらに進めるためにはさらに時間がかかるようになる。
いつか、「そこ」から先に進む前に寿命が先に訪れてしまう日がやってくる。
だから、人間の知識には限界がある。

そんなんなったら、「そこ」から先はやっぱり、神を信じるしかないんですかね。
その時は絶対神きまぐれでお願いしますね。 はい。








PS
幽霊信じないとか言っていたけど、やっぱり心霊スポットとか行くとその場の雰囲気に圧倒されてしまいますね。小坪トンネルとか結構やばかったです。
あと、サザエさんの家とか。青梅トンネルとか。廃ホテルとかの雰囲気もやばいものがありますね。
これは単に明かりに溢れた街で育ったからかな?
明るいっていう安心があるから、きっとこうゆー文章が書けるのかも知れない。
不安がないから、神の意味も希薄になる。
そんな、感じか。
あぁ、でも、しんだ時に戒名付けられるのは勘弁してください。
安易な坊さんの戒名付けを見て、あぁー
こんな見ず知らずの坊さんにおれの人生に勝手に名前つけてもらいたくねーや。って思う訳で。
親からもらった名前で生まれて、親からもらった名前で死んでいきてーわー
もしくは、きまぐれ!って書いてくれよ。
気魔愚零とかいいじゃん。いいじゃん。

ハイハイ。中2中2。

コメント

nophoto
Everybody
2008年10月11日5:10

ノーベル賞を受賞する人がどんどん高齢化の一途をたどっていますね。
これも、
①受賞待ち
②画期的な論文発表の高齢化

ノーベル賞は絶対確実!ってモノしか受賞しない事になってるからどうしてもそうなる。
だからそれまでの力学みたいな見りゃあわかるってのじゃなくて誰も見れないお花畑の世界のような素粒子だのって話になるとどうしても裏付けが必要になってくるんよ。
あとは確かに受賞待ちも多いね。
いい加減名城大学の青色発光ダイオードは受賞させても良いかと。

nophoto
chocolate
2008年10月11日12:59

多神教のヨロズの神というとギリシャ、北欧ですね。
ギリシャは地中海性気候で日本と同じように自然に恵まれていた。
それに対して北欧は火山と氷河に覆われた非常に過酷な環境で、北欧神話は一言でいうと神々同士の最終戦争の滅びの詩です。
エジプト、アンデス地方の熱帯では絶対神として太陽神ラーを信奉しています。
以下の記事を見ると神として称えるだけの理由があると思います。
今科学的に地球温暖化は二酸化炭素のせいとか言ってますけど、カネの匂いがぷんぷんしています。
単純に太陽神ラーの数百~数千年周期の喜怒哀楽の結果なのではないかとも思えます。
いくら科学が発達しても自然には逆らえないと思います。
行き着くところ、「神」は大自然への畏怖なのは間違いなさそうです。
http://sunbase.nict.go.jp/solar/sun-earth-human/maunder_minimum.html

nophoto
のら
2008年10月12日10:44


もともと信仰という言葉は、ラテン語では互いの共通の認識、または結び付けている意識のことを云うのだそうです。
そのように基の意味に立ち返ってみると、現代には宗教というのは神のみならず沢山ありますね。
科学もそうだし、民主主義などの社会制度も、いわば社会の共通認識で機能している現代宗教といえるかもしれません。
科学も社会制度も、究極的にはもっとも単純化された基礎部分においては証明のしようはないもので、そこには人が作った一種の共通の価値が含まれます。
一般に多神教かどうかより、日本のように自然神を基礎に持つ宗教観をもっている民族は、宗教へのこだわりが薄いといわれているようです。
そういうことで日本ではあまり話し合われる話題ではないですが、死んだ神に代わって、現代の神というよりは様々な信仰について、換言すると現代人がもつ基礎的な価値感について考えるのは面白いかもしれませんね。
ちなみに民主主義ってのは、皆が価値があると信じているから意味があるもんですな。

nophoto
のら
2008年10月12日10:45

ちなみにハイエクはノーベル賞の受賞理由を聞かれて「ケインズより長生きしたことです」と答えたそうです

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